いや、繰り返してしまっていますが、正直、年はいいことと、悪いこと、極端にふれすぎで、行って来い感が満載なんですが、旅に関していうとヘタレでした。それはもう、ほんと、穴があったら、というレベルです。
で、そういいながらも、何事もそうなのですが、いったん基礎が叩き込まれると、1年2年くらいダメな年があってもどうにかなるかなっていうことも改めて体感した一年でありました。
自分的には航空業界のことは足かけ20年やって来てたので、やれ、えらそうだとか、なんか言われても、叩き込まれたものってあんまりさびなくて、にわかが何をいってもこっしょり失笑はできるな、と。表向きは「すごいですねー」ですが。
なので、個人的には、持ってる知見はこのエリアでは兌換券なしに御口汚しなおすそわけしたいし、してきたしたつもりですが、どうも、そういうのを、受け入れない人っているみたい。
知ったかぶりとか、ニワカのくせに悔しいんだろうな。ふっ。とりあえず、悔しいから言い返したり、負けたくなかたり、上に立ちたかったり。ほんとだったら、だって、別にそこで上にならなくても、ご自身がすごかったら、歴然と差がでるはずなのにね。なんか近視眼的。
他者の発信とかいうことなんか「はいありがとう」って受けておいて、あとは取捨選択すればいいのにそれがなんか悔しいみたい。知ったかニワカは。
とくに、出す側があらかじめ報酬設定してるときの反応でもわかる気がする。有料無料でしか判断できないの。
出す側がなにか報酬を求める求めないは自由ですが、その報酬として「信義」を求める人は逆に疑うほうがいいと個人的には思うけどそこじゃないんだよね。値付けの大小をどう受け取るかはその方の知性、生活水準によりますが、金員とってくれるほうがずっと常識人で優しい人。
そういうのわからない人、散見かも。タダだけど、ずっと自分に忠誠しろ、とか、自分の下僕のように、自分の趣味にあわせろ、逆らうな、みたいなことを平気でいうひとのほうがいてとってもこわいのにそれわからないの。むしろそういうこというひとって、野蛮。だったらお金で時限してくれるひとのほうがよほど善人。
もちろん、両方求めるひともいて、それはもう異星人。有料コミュニティとかサロンとか、難しいですよ。ほんと。個人的感想。
金額をどう設定するかはどっちでもいいんじゃない。いやならもうシカトすればいいし、もう関係ない。分不相応な設定だったら、市場から無視されるだろうし。むしろ、文句いって、自分の口汚すのもったいないかなって。好き嫌いを言及するのは権利だけど、じゃあ、2000円なら許せて、8000円なら許せないって、それははっきり言ってご自身の脳内の課題。そもそも、国家資格最高峰のひとつ弁護士だって一応30分5,000+税とかで、それと比べる人いるけどそれも頭弱すぎるとおもう。バックエンドかんがえろよって。
受け取る側に関しては、わからない。自分が想像している以上の逸材がいるのでわからない、というのが正直なところ。ほんとびっくりする。分類することができないレベルで逸材だらけ。全部スマホのせい笑。スマホがなかったら出逢わなかった人が跋扈。
とくに「オトクな航空旅行」に関するエリアはちょっと特殊でいわゆる知財に関する部分で正直狭量な人々が声高なケースがあるかなっておもう。知らんけど。
でも、だから、盛者必衰なのかな。人徳者はこっそり続く。対偶とると、続かないのは人徳者じゃない。だから入れ替わる。
と、ここまでは前置きで、バーいくと、余計それを感じるかなということがいいたいのが本題。
バーテンさんと、お客さんというラベル付がハナからできているけれど、ちょっと観察すると、やっぱり、そこそこやってるひとは見てるなって。とくに、40歳代前後はまだ他者にも厳しい所を含んでいるから、そいうバーテンさんがいるところにいくと自分も鍛えられて面白いかもって。知ったかニワカ瞬殺。界隈()より怖いかも笑。
それより、お年召してるバーテンさんは、もう、「ええよ、ええよ」とお客さんを少し甘やかせてあげてる気がする。人に甘いのは基本だいすきだけれど。甘やかすだけがいいわけではないね。おまけにそこでいい気になってる客もいるし、そういう客を養殖しないでって気がするくらい。
でもそこのちょっと前の年代だと、「まだ自分も勉強途中」という想いがあるからか、腹の底ではアホにはアホなりの扱いしかしないで、そうじゃない人には段階的に相互作用を求めていく気がした。うまくいえないけれど。
ここまでわかるなら、次、みたいに、しつつ、それを、客に対してやると、自分もきつくなるから勉強もしていかなければならないし。
そういうのがおもしろいかな。インタラクティブな人間関係で好きかも。 甘やかしてくれるのもいいけれどなんか脳が今以上に退化しそう。考える機会を与えてくれるのがいい。そういうガチンコ、みたいなの好き。
でも界隈()はそうじゃないみたい。それはそれでいいけれど、そこで消耗するのももう疲れた。めんどくさい笑。
だから、かかわりは、自分からはゆるくゆるく、また来年も緩く。それがおもしろいかどうかわからないけれど、他人は自分じゃないし、他人は変えられないし、所詮、知ったかとかニワカにはそれでいいんじゃないかなって。やっぱりレセプタないところには無理でしょう。レセプタがないことが悪いわけじゃないけど、所詮ない人は、「ない」と言われると瞬間湯沸かし過ぎて相手するのマジ疲れる。
相互関係が成立するかかわりだけ紡いでいきたい。どっちが優位とかなく。そんなのお互い様だし。お互い様がわからないのはグッドバイ。今年中にグッドバイ。来年はもう絶対そういうことはしないという来年への自分への手紙。
コメント
さんだーばーど様
一年間の執筆活動(?)、お疲れ様でした。ネットの世界も実世界と同じぐらい女性嫌悪(misogynie:男性が主体になりがちな社会活動の場で女性が活躍することを嫌悪する感情や主義。政治の世界でよく問題とされます。男性特有な問題ではなく、女性も同じ程度その傾向があります。)が蔓延しているようですね。才能不足+経験不足+説教好きの年寄りも、発想の根底に同種のものがあると思います。びっくりするほど稚拙な人がいますからね。自由と言われるネットの世界は程度の低い世界にもなります。この種の傾向は、個人の足を引っ張るだけ、表現の場を乱すだけで建設的なものは何もありません。厳しく忌避の態度を示すことは重要だと思います。
確かに何千記事も書いていて10年以上も続くブログもある一方、100記事に届かず1年持たないブログも数多くあります。followerが順調に増えるアカウントもあれば、2桁のまま、オリジナルのつぶやきがほとんど無いアカウントもあります。
この差は、持って生まれた好奇心、感受性、探究心の違いから生まれるのだと思います。これらの能力に劣り、目立ちたがる性向があり、自信がない場合に問題が起きるようです。さんだーばーどさんがどういう方々をイメージしているのか分かりませんが、人徳者と言われるとご本人たちはまさか自分のことだとは思わないのではないでしょうか。それはそれで微笑ましい話です。
>地獄桃先生
コメントありがとうございます。
多様化でそれこそびっくりする場面に遭遇することがあるのですが、それに対して自分自身である程度の基準をもって1ミリでもオーバーしてたらもう撤退するということが大切なのだなと痛感しております。
1ミリだけなら、とか、あと少したてばわかりあえるから、とか、自己満足でしかなく、自分を律することができるのは自分が主体。そんなことも思っています。
ただ、まだこの歳になっても、主体である自分が微妙に環境や他者との相互作用で揺らぐこともあるので、常に自分を第三者目線で観察することが必要なのだろうなとも感じています。